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【台湾】多民族国家の不思議 台湾人の母語とアイデンティティについての疑問

問題提起:
本省人でありながら、もともと台湾にあった母語(河洛語、客家語、原住民語)を話せない若者 は、いわば中国語という「外国語」を母語でありかつ公用語として使っている。
彼らの「彼らの属する民族としての」アイデンティティとはいかなるものか?そして、その民族アイデンティティがどのようにして台湾人としてのアイデンティティを形成しているのか?


まず、はじめに述べておきたいのは、日本は日本語というたった一つの言語を持つ単一民族国家であるということである。「一民族、一国家、一言語の日本」の類の発言は政界や言論界で時折語られる見解である。
(ただ実際には北海道先住民のアイヌ民族も存在するので複数民族国家になるが、単一民族国家と呼ばれるのが一般的なようである。)

次に台湾であるが、大きく分けて4つの民族が存在する。

河洛(ホーロー)は全体の70%を占め、河洛語(台湾語、閩南語とも呼ばれる)という固有の言語を持つ。
客家(ハッカ)は全体の14%を占め、客家語という固有の言語を持つ。
台湾原住民は(さらにいくつもの民族集団に分かれるが)全体の2%を占め、それぞれの民族集団がそれぞれの言語を持つ。

以上の3つの民族集団は、日本統治以前から台湾に暮らしていた民族である。以下で述べる外省人に対して本省人とも呼ばれる。

外省人は日本統治以降に大陸から移り住んできた民族である。中国語(Mandarin)を話す。これは第二次世界大戦以降の台湾の公用語である。外省人は日本統治後の台湾(つまり日本が敗戦して外地としての台湾を手放したときの台湾)を実効支配し、公用語を中国語とした。そして現在においても、台湾の公用語は中国語である。

もちろん現代の台湾において河洛語や客家語、原住民語で話すことが禁止されているわけではないので、今なおそれらの言葉は日常的に使われる(学校でも少し習うそうである)。しかしながら、若い人には、本省人でありながらこれらの言葉(言わば母語)を話せない人が多くいる(特に台北は顕著で、南に行くほど話せる人が多いそうである)。その原因は、現在の台湾の公用語母語ではないこと(また、日本統治時代も公用語は日本語であった)が主たるものであると考えられるが、ここではそれについて議論するつもりはない。

前置きが長くなったが、ここで冒頭の問題提起ができる。

問題提起(再掲):
本省人でありながら、もともと台湾にあった母語(河洛語、客家語、原住民語)を話せない若者 は、いわば中国語という「外国語」を母語でありかつ公用語として使っている。
彼らの「彼らの属する民族としての」アイデンティティとはいかなるものか?そして、その民族アイデンティティがどのようにして台湾人としてのアイデンティティを形成しているのか?


つまり、河洛語を話せない河洛人のアイデンティティとは?客家語を話せない客家人アイデンティティとは?原住民語を話せない原住民のアイデンティティとはいかなるものなのか?というのが、私の問題提起である。あるいは、この問題は、民族間のハーフやクオーターのことも考えると非常に複雑になる。

そして、その各々の民族アイデンティティが、どのようにして「台湾人としてのアイデンティティ」の形成につながるのか、とうことが私の最近のテーマである。

単一民族国家で育ったせいか、台湾における民族と言語の関係を理解するのはなかなか難しい。日本人のアイデンティティというのは母語として日本語を話すことと同値であると言っても過言ではない。言語と文化というのは深い結びつきがあって(言語は文化の縮図とも言えよう)、ネイティブスピーカーであるということは、その文化が体に染み付いている。日本人そのものが日本文化を体現しているとも言える。

あるいは、私は、愛国心というのは自分のルーツを探るところから来ると考えている。さらに、そのルーツを探るには母語を用いなければならないと考えている。それは例えば、母国語を用いて母国の文学に触れることであったり、歴史について見聞きすることである。

しかしながら、台湾の若者には、もともとの言葉であった河洛語、客家語、原住民語を話せない人も多い。極端ではあるが、自分のルーツを探る術(言葉)すら知らない台湾の若者に、自分の民族を愛する心など無いのではないか、などと疑ってしまいかねない(あるいは河洛語も客家語も中国語のひとつの方言であるから、中国語を用いて中国文化を知ればそれで事足りると言えなくもないが、河洛、客家が独自文化を形成していることも確かである)。

友人に河洛と客家のハーフがいる。彼女は河洛語も客家語も話せない(少しはできるようだが)。そして彼女は台湾を愛し、台湾人であることに誇りを持っているし、自分に河洛と客家の血が入っていることにも、誇りを持っている。しかし、私が「どんなところに誇りを持っているのか?」と問いかけると、閉口するのである。

台湾人のアイデンティティとは何であろうか?どのように形成されたのであろうか?私はまだ多民族国家の本質を捉えきれていない気がする。